思考を言語化する価値と意味。書き続け、言い続けて自分がナニモノであるかに気付く。

単刀直入に

なんでブログを書くのか。

はじめて書いたのは

2006年。

ブロガーなんて言葉さえ

無かった時代

ずっと続けてたら

どうなってたのやら。

「書いてはやめて」を繰り返す

試行錯誤してたので。

あるようで無かった目的

今思えば「知名度を上げるには」「売れるには」どうしたらいいかと模索してた。

ある程度続けて

納得したら(しなくても、もういいかなと思ったら)止める、の繰り返し。

もう、飽きたから

そういうときもあったっけ。

ブログに限らず

SNSもそう。

Twitterも

でん舎を立ち上げた2010年から始めていた。

最盛期は

フォロワー1万人近くいたっけ。

その頃出会った人たち

もはや、だれともつながっていない。

広く浅くを

地で行く世界

そういう気軽さも

悪くはなかったけれど。

ブログが当たった時は

サイトがパンクするほどのアクセスになり

ウソみたいだけど

まとめサイトができたこともあった。

でも違和感

なんか違うんだよなぁ、と。

分かっているようで分かっていなかった

自分の方向性。

分からないなりに

続けてきたことで見えてくる。

何が見えたか

「これは違う」というモノゴト。

「違う」を繰り返すうちに

「違わない」ものが見えてくる

ひたすらやっていたのは

いらないものをふるい落とす作業だった。

方向が定まってきたのは

ようやく、ここ5年くらい。

もっと厳密に言えば

コロナ禍の開き直りのおかげ。

かなりよく言えば

大器晩成型

自分で言うのもなんですが

気付くの遅すぎ。

試行錯誤の先に

見通しが無かったという甘さ。

言い換えれば

食うのに必死、生活に必死だった。

何をやればハマるのか

しっくり行くものを探し続けていた。

探して探して

やっと気付くのです。

なーんだ・・・

もう持ってる。

探していたものは

もうとっくに手に入れている。

なりたい自分に

とっくになっている。

目指していた

遠くに見えていたはずの山が、いつの間にか眼下にある。

ぱーっと目の前が

開けたような感覚。

ほんとに抽象的すぎて

自分でも笑えてくるのですが

あれ、ひょっとして

「もう、できてるじゃん」と。

漠然としていた願いは

なんか、もう叶っているかも。

勘違いしないけど

そこがゴールではない。

ただの通過点

第一、第二関門をクリアしただけ。

せめてそれくらいには、ね

と思っていた最低ラインはクリアしたかな、という程度。

野望というものでもないけれど

目指すところはありまして

このまま行けば

たぶんどうにかなると思っていますが。

あとは、なるようになる

これまでの点と点をつなぎ合わせるだけ。

それさえすれば

やるべきことは勝手に見えてくる。

方法論に落とし込んで

あとはやるだけ。

改めて、なぜ今ブログを書いているか

自分の思考をクリアにするため。

クリアにするのは

行動を明確にするため。

だれのためか

自分のため。

伝わる人には勝手に伝わるけど

興味ない人には全く伝わらない。

これでいいのだ

それでいいのだ。

演じると同じように

「言葉」という表現力を磨きたい。

自分を研ぎ澄ますためだけに

やっている。

もれなく付いてくる

いろんなものは、ただのおまけ。

なにを目指していたのか

確固たる自分。迷いのない人間。ワタシハナニモノカを知りたかった。

確実に転機の一つとなったのが「自祝フェス2020」

もはや何を言っても、何をやっても「カイデン」にしかならないし、ほかのナニモノにもなれない。「そうありたい」とか「そうなりたい」ではなく、「そのもの」でしかない。ようやくそういうものが見え始めた、50歳手前の今日この頃。

これが早いのか遅いのかよく分かりませんが、人と比べても仕方ないのでどうでもよく。あと何年やれるか分かりませんが、このまま行くと「どこまで行けるのか」「この先に何が見えるのか」を追い求めたいと思う次第です。

雑感

Posted by densya