「いじめられたら逃げればいい」と軽く言う人とは、たぶん分かり合えない壁がある。

一番嫌いだったもの@20代後半頃

ダメ出し。

ダメ出しとは

「ダメ」を出す時間。

平たく言えば

反省会。ですが、反省会ではなかった。

今日は何言われるのか

いつもびくびくしてました。

もう時効ですが。

20年経ってるので時効です。あの時間がこわかった。

毎回血の気がサーッと引くような

これから始めます、となると緊張。

なんでそんなに怖がるのか

一番下手で、一番「ダメ」が多かった。

自己肯定感

まるでなし。

舞台に立つことは

とても楽しかった。でもそれとこれとは別。

注意されて

ポジティブに考えられなかった。

毎度思う。

あーあ、また言われた、と。

意見があれば言えばいい

それができなかった。

なぜなら

基本的に全否定されてるとしか思えなかった。

そんな自分には

何か言う資格なんかないと思っていた。

しんどい日々

笑顔振りまく舞台裏。毎回そんな苦悩を抱えていた20代。

それにはワケがありまして

いじめられていた子どもの頃が、フラッシュバックする。

同じ気持ちになる

学校に行きたくなくなる小学校時代と。

夜布団に入って考える

今日も泣いちゃった。明日は泣かずにいられるかな。いじめられるかな。

だれにも言えずに

ひとりで悶々として。

今だったら

絶対登校拒否する。当時はそういう選択肢がなかった。

いじめを苦に自殺したり事件を起こす子の気持ち

言ってはいけないことかも知れないけれど、正直分かる。

追い詰められて苦しくなる

たかが学校、狭い集団。いつ逃げたっていいのに、それができない。

頑張りたい気持ちと頑張れない気持ちのはざまで

いつも苦しくなる。

離れてしまえばなんでもないことも

渦中にいれば取り込まれる。

いじめられたら

逃げればいい。今なら当たり前に思えることも。そんな簡単に離れられない。

簡単そうに言うのは

その経験がない人。

経験者なら

「頑張れ、頑張れ」が通じないことくらい、分かるはず。

そんなこと、言われなくても

分かっています。ダメ出しがいじめではないことくらい。

芸事で生きていく身として

泣き言言ってちゃいけない。そう思うからこそ、余計に苦しくなっていったのでした。

いつか、きっと見返して見せる

そんな風に思えていたら、もっと早く楽になれたのに。

志が低かった

認めてもらえるようになろう。言われないようになろう。まわりの目を気にしてばかりでした。

結局、辞めるまで

その思いは拭えませんでした。

やり切った感

まるでなし。

辞めた時の正直な気持ち

もう、この仕事をやることはない。

以上

昔話でございました。

そんなヤツがねぇ・・・

10年以上、ソロ活動継続中。不思議なものです。

あえて恥をさらしておりますが

今もそう思っていたら、とてもじゃないですがこんなこと言えません。

すでに課題を克服してるからこそ

言えることです。

さて。独立後、まず考えたのは

「なにより優先すべきは、ストレスをためないこと」だと。自分を追い詰めるなと。

そのためには

やりたくないことをやらない。苦しい方へは行かない。それを大事にしようと。

逃げではなく

選ぶ権利が自分にあることを理解する。

心が弱いのではなく

そういうシチュエーションが苦手なんだ、自分は。それを分かっておけばいい。

「嫌なら逃げる」ができないなら

はじめから、その方向に行かなければいい。

ストレスを起こす原因が分かっているなら

はじめから、排除すればいい。

かんたんなことだった

様々なストレス要因をいったん取り除いたら、あとは寄せ付けないようにする。

バリアを張りながら免疫も付ける

パターンは分かっているので、傾向と対策を分析して対処。

具体的にはこういうこと

・苦手な人には付き合わない。
・不得意を克服しようとしない。
・プレッシャーに向き合わない。
・嫌なことはとにかく避ける。
・できないことは捨て、できることにフォーカス。

この考え方がハマりまして

できることが「実績」として積み重なり、今に至っています。

一応念のため

やるべきことは相当やってます。やらなきゃ、今この世界で生きていません。

苦悩の時期を経て

やる、やらないの選択が瞬時にできるようになった。これが大きいのです。

さんざん追い込まれたおかげで

それなりに図太くたくましい精神構造ができあがりました。めげながら、日々落ち込みながらもしぶとく続けたことで、自分なりの芸の在り方も身に付きました。

なにが昔と違うのか

そりゃ、もう。自信です。

なんで変われたか

「他人に求められる姿になれない」ことにもがいた過去。「自分が求める自分になれた」独立後。

今だったら

昔のようなシチュエーションに追い込まれたとしても「はいはい、言わせておきますよ」と言えますね、間違いなく。

なんだかんだ言って

20代後半の頃のしんどさに比べたら、コロナだろうがなんだろうが今のほうがはるかに楽。コロナが始まった頃は相当焦りましたが、落ち着いて考えられるようになると「それほどでもないかも」と。

当時はまだ20世紀

そしてバブル期(終わり頃ではあっても)。公演数は段違いで当時のほうが多かった。いつも仕事があっても、気が休まることが無かった。

仕事もお金もなくても

今は満たされ方が違います、格段に。

痛みも苦しみも力に変えるだけの

変換方法を身に付けたことが大きいとは思いますが。

そりゃまぁ

日々の浮き沈みはありますが。

大きな視点で考えれば

大したことないと言える。

なんだかんだ言っても

今がいちばん楽しいし、幸せ。

そう言えるだけの生活に

今はなっています。

過去を否定したいのではない

今のほうがいいだけ。

今日より明日

人生最高の日は今日です、と毎日アップデートしたいし、割とそうなっています。

さんざん追い込んで追い込んで

ぱつぱつに張りつめても、そのうち空気は抜けていくもの。

その適度なバランスが

心地よいと気付けるようになって世界が変わりました。

どれだけ言われても

正解を教えてもらったとしても、自分で気付くまでは分かりません。

さんざん悩んで考えて

見つけた答えだからこそ、一生ものになるのです。

辛い経験も糧になる

吐きたくなるほど追い詰められた日々があって今がある。それは感謝。

並みのメンタルではない

そりゃ、もう。自覚あり。だって相当乗り越えてきましたから。


今の自分よりはるかに若い、当時の先輩たち。今「若い子」と言ってる年代の人たちです。そういう人たちの指摘にびくびくしていました。今思えば「なーんだ、大したことなかったんだ」。でも、その時は頭がいっぱいになってしまう。そういうものなのです。

今悩みを抱えている人がいるなら、一言だけ送ります。「なにがあっても、つぶれるな」と。


日常

Posted by densya