陰ながらの応援はいりません。表に出てどうぞ。

なんで陰から?

「陰ながら応援しています」よく言われる言葉の一つです。なぜ陰からなのでしょうか。

気にはかけてるんだよーという意思表示

優先順位は(かなり)低いけど、気にはしてるんですよー(それなりに)という意思表示をして下さるのは分かります。よーく分かります。

気にかけてもらえたら嬉しい。ということにしておきます。

まったく相手にされていないよりは少しでも気にかけてもらえるなら、それはまぁ・・・。嬉しくないわけではないです。ですが。

ほんとに「気にかける」だけ

それ以上でもそれ以下でもない。

それぞれの事情はあると思います

「遠い」「忙しい」「お金がない」「仕事がある」「用事がある」「家庭がある」などなど。

好きなら万難排す

そうでないということは、そういうこと。

SNSで「いいね!」するのは応援?

小学校の連絡帳で、親がハンコ押したりサインするのありますよね。あれと同じこと。ただの確認印。「見たよ」というチェックでしかない。

直接的な消費行動ではありません

増えたら承認欲求を満たせるくらいでしょうか。だから何。

食べて応援!だって買ってするもの

「訳あって余りました」とか「助けてください」系のものだって、購入を誘導します。送料もかかります。タダでもなければボランティアでもない。

スポーツの応援だって行ったり買ったりする

高校野球だってけっこうな入場料取る時代です。球場に行かなくたってユニフォーム買ったりグッズ買ったり、衛星放送契約したり、それなりに消費行動があります。

心の中で思っても、相手には届きません

片思いと一緒。気持ちは伝えましょう。行動に移しましょう。移してください。心から思います。

「ずっとあなたが好きでした」って嬉しいの?

こんな自分でも、そんな風に言っていただいたことがありました。若い頃。その時言いましたよ。「なんでもっと早く言ってくれなかったの。あの頃言ってほしかった」と。

リアタイで言われてたらきっと違ってた

モノにはタイミングがあります。旬もあれば賞味期限もある。新鮮なうちにぜひ。

たぶん、ずっと忘れないと思うこと

「応援してる」と言う多くの人たちにクラウドファンディングをスルーされたこと。コロナ禍で弱ってた時にはなかなか効きました。おかげで発奮できましたけど。思ってるほど応援されてないんだなぁと。

違いがすぐに分かる

ほんとよく分かりました。応援してくれる人と口だけの人の違い。

気持ちがあればいい、なんて思わないです

心が透けて見えると、すごく寂しいもの。慣れてますけど。慣れちゃいますけど。その都度「打ち砕かれ」感はあります。

期待して打ち砕かれて・・・の繰り返し

「世の中甘くない」とメンタルだけは強くなります。日々強くなり続けます。それでも期待してしまうのです。人の心ってものを。

応援を力に変えてと言いますが

応援が力になるのは事実。応援がないことを力に変えているのも事実。「いつか見てろ」という気持ちは常に原動力になっています。

愛はあふれていない

世の中に愛はあるけどあふれてはいません。優しさもしかり。みんな「いい人」なんかじゃない。だからこそ、たまに触れる愛や優しさや人情が沁みるのです。

出会いはハズレのほうが多い

長いこと生きていれば、必然的に出会いは増えます。人には恵まれているほうだと思いますが、それも打率にしたらせいぜい1割か2割。出会いの母数が多いだけかも。

よけいなこと言ってガッカリさせることもありますが

「そんなこと言わないでほしい」「がっかりした」「ファンを大事にしろ」言われることもあります。

私たちも同じです

いっぱいいっぱい、がっかりしてますよ。

それでも笑ってます

それが宿命です。顔で笑って心で泣くことの繰り返し。

作られたタレント然としたほうが、たぶんいい

器用に世の中渡るには、そのほうがいいのでしょうね。

今さら好感度なんていらん

「誰にでも好かれる人」を尊敬します。自分にはぜったいに無理。嘘ついてるのが絶対にバレます。

地のまま、素のままでいられるならいいですね

「いい人」を演じてたら、いつか苦しくなるはず。自分もそういう経験あります。

頑張って無理して破綻して

できないものはできない!と割り切れるようになったら身軽になりました。その分敵も増えれば反発も増えましたが。

自分だって苦手だらけ

合わない人、苦手な人いっぱいいます。だから相手からそう思われるのも当然。お互い様です。

こういう人間だとさらけ出した上で

それでも応援していただけるなら幸いです。その際はぜひ表立ってお願いします。

いらないものは片づけて捨てて。残ったものを大事にします。まずは家族を。

雑感

Posted by densya