「それ言われてどうしろと」いったいなにを期待しているのでしょうか。
コミュニケーションが成り立つ会話をしたいのです
会話というものはコミュニケーションなわけですから、できる限り一方通行にならないようにしたいものだと常々思っております。
自分も話がうまいわけではないですが
「お前が言うな」とお思いの方はごめんなさい。以下読み飛ばしてください。「それ言われて何返したらいいの?」と思うことがたびたび(いや、しょっちゅう)あります。
ほんの「あるある話」です
「私、太鼓やってる知り合いがいます」
そうですか。
「私、獅子舞やってる親戚がいます」
そうですか。
「この町に〇〇という太鼓チームがあります」
すみません、知りません。
「〇〇という△△奏者を知ってますか」
すみません、知りません。
「太鼓っていいですね、迫力があって」
そうですね。
「獅子舞っていいですね、おめでたくて」
そうですね。
知らないものは知りません。聞かれても知りません。
プロ活動しているからとはいえ、あらゆる方の把握などできかねます。とくに地域のアマチュアサークルや芸能保存会。申し訳ないのですがさっぱり分らんのです。あなたが知ってる人をみんな知ってると思ったら大間違いです。とくに和楽器界隈は無名人の宝庫です。ご容赦ください。残念ながら会話の糸口にはなりにくいもの。
それでもフライングレシーブを繰り出します
振られた以上、きれいではなくても返します。気分はバレーボールのリベロです。どんな球が来ても返す!のは我々の宿命。
返したボールの行方はといえば
力なく相手陣内に返ったものの、なぜかスルーされてコートにぽとり。「必死に返したんだから打ち込んできてちょうだい」と心の中で叫ぶのでした。
こんな「あるある」も
今取り組んでる「自祝フェス」関連。
「コンサート行かれませんが頑張ってください」
ありがとうございます。
配信なら2週間見られますよ。
「その日行かれませんが応援してます」
配信もやってますけど。
「遠くて行かれなくてすみません」
だから配信やってますけど。
「ほかの予定があってすみません」
だーかーらー。配信やってますけど。
「次あったら行きたいです」
すみません。もうやりません。
感謝の気持ちを伝えるのが筋なのでしょうけど
気にして下さるだけで嬉しい。昔はそう思っていました。ですが。
「行かれない」は「興味ない」と同義語
何百回、何千回と聞いて麻痺しました。すみませんが「ありがとう」より「ああ、そうですか」という気持ちのほうが前面に出てしまいます。
情には厚いほうだと思っておりますが、それでも
お世話になった方のことは忘れません。ですがお世話になっていない人のことはすぐ忘れます。そこまで記憶メモリーの容量が多くありません。
ご縁にはすがらない主義です
名刺はデータ入力が済んだら処分します。名刺の数は人脈と何ら関係ありません。1年連絡のない取引先の電話帳は削除します。演者関係はもう少し長いけどそれなりです。「いつかつながるかもしれない」なんて昔の彼女じゃあるまいし。未練なくスパンといきましょう。
人生の時間には限りがあるだけに
アラフィフの人間にとって残された時間はそう多くはありません。より有効に有意義に時間と気持ちを使うために、物事や人間関係には優先順位を付けています。
いつかを期待しない。いまの関係性が大事。
いつか公演を見に来るかもしれない人を気長に待つより、今近くで応援してくれる人を優先します。いつか役に立つかもしれない情報より、今必要な情報を優先します。
人を信じますが、無条件ではありません
なまじ期待するだけ虚しい。その分期せずやってくるご縁が嬉しい。いつでも暖炉の火に当たりたいわけではなく、寒風吹きすさぶ中で灯されるローソクの火に感動する方がいい。世間の厳しさにぶち当たるたび、ささいな優しさや温かさが身に染みるのです。

このクラファンのとき「自分よりもっと大変なのでは」と思うような方々が支援してくださいました。この取り組みは一生忘れないでしょう。上辺の付き合いでは得られないものばかりでした。そして、口先だけの人がいかに多いのかと。それはそれは身に沁みました。