ただ「立つ」ことの難しさ

50年近く分かっていなかったこと

いつからか歩けるようになって、50年近く歩いているはずなのに。当たり前にニ足歩行してきたはずなのに。分かっているようで分かっていなかったことに愕然とします。

どうやって立って、どうやって歩いているか

当たり前すぎて疑問に思うこともないことです。本能に近いかもしれません。どうやって身体を動かしているかなんて考えることもない。

雪駄+裸足生活

5~6年くらい前から雪駄+裸足生活を続けています。そもそも夏場に靴で足が蒸れるのが嫌だったからです。靴脱いだら臭いのがたまらなかった。裸足が快適すぎて癖になり冬でも続けて今に至ります。

どこに行っても言われます

さむそうですね

はい、寒いですよ。

さむくないですか

寒いですよ。でも慣れました。

ただ、あまりに言われるので申し訳なくて冬場の接客時は靴下を履くようにしています。

思わぬ効能が

指で鼻緒をつかむことで足先の感覚が鍛えられ、いつしかバランス感覚が取りやすくなっていました。科学的な根拠は分かりませんが身体が楽になったので間違いないと確信。

さらに思わぬ変化が

去年くらいから、足裏が地面に張り付くような感覚が生まれました。偏平足ではないのにべたーっとくっつくような感じ。雪駄の上からでも地面を踏んでるような感じ。不思議でした。

息子に言われて気付く

何気なく足をもまれたときに言われました。

とうちゃんって、足の裏やわらかいね

本人には人との違いが分かりません。家族の足裏を触って納得。へーっと驚くばかりです。

足裏にかかる重力の方向が分かる

ちゃんと立ち、ちゃんと歩くとどこに力がかかっているかが分かるようになりました。歩く、立つという当たり前のことが当たり前にできていなかったことに驚きました。

世間の人を見ても思う

あたりを見渡すと「意外とできていないものなのね」と気付きました。「違う」としか言えませんが違います。人間って不思議な生き物ですね。

当たり前にできそうでできないこと、実は多いかもしれない

毎日食事していても、正しく箸が使えるとは限りません。毎日歯を磨いても正確に磨けているとは限りません。当たり前って当たり前ではないのです。

当たり前を疑うと広がる

「できて当たり前」「やって当たり前」「これが当たり前」当たり前が正解とは限りません。ちょっとしたことに気付くと、なにかが楽になったり楽しくなったりします。

自分の感覚を信じるのみ

これが理論的に正しいかは正直よく分かりません。自分にとって楽に効率よく力を発揮できる形が理想だと思っています。この年にして気付くのが早いか遅いかもわかりませんが「まだ成長できる。成長している」と思えるのは楽しいものです。

かれこれ10年前。そのときは一生懸命でもあとで見返すとなかなか恥ずかしい。ただ自然にすっと立ちたいのですが、これがどうにもこうにも難しい。恥をさらしながら精進するのみです。

雑感

Posted by densya