当たり前にモノ言える世の中でありたい

お世辞込みなのは分かりますが

「カイデンさんははっきり言うところが素晴らしい」的な評価をいただくことが多いです。言われて悪い気はしません。他人様よりはちょっとだけ突っ込んだ物言いを心がけています。当たり障りのないことを言っててもおもしろくないですし、何より自分が「嘘くさい」と思ってしまうからです。

「よけいなこと言わないほうがいい」の声もある

ご心配、お気遣いの視点からたびたび頂戴します。ご意見はごもっともです。反論の余地はございません。

いちおう気を遣います

これでも、言葉を選びます。気を遣うこともけっこうあります。ほどほどに空気も読みます。これ言っちゃまずいな、と思うことは言いません。地雷踏みそうだと思うときに、あえて踏むことはしません。

タブーの捉え方がゆるやかなのでは

いちおう気を遣ってはいるのですが「これ、言ったらまずい」と思うラインが他人様より低めに設定されているのかもしれません。その辺は経験則で計っています。

当たり前のことを言うのも気を遣うバカらしさ

われわれのような職種の人が嫌うことのひとつ、政治的な発言をすること。「選挙に行こう」「投票に行こう」という当たり前の権利行使でさえはばかられます。なんでやねん、と言いたい。

「知らない奴が言うな」なんで?

「勉強してないのに言うな」「分かってもないのに言うな」なんで?じゃ、学者、研究者、専門家しか発言できないの?それこそ、バカげてる。芸能やスポーツのこと、知らない人が好き勝手に言ってるでしょうが。

思想信条、主義主張。言うと叩かれる。嫌われる。なんで?

よけいなこと言ってほしくないのでしょ。それだけだと思います。

「自分のことだけやってればいい」そうかなぁ?

社会のこと、経済のこと、政治のこと、憲法のこと、平和のこと。なんにでも言えます。全部生活に直結してます。芸人だから社会のことを無視して、自分の世界だけで生きているわけではないのです。

「よけいなことを言うな」の裏側にあるもの

「よけいなこと」とは誰にとってでしょうか。都合が悪いから言ってほしくない。まして発言力、影響力のある人ならなおさら。

「よけいなことを言うと干される」?

それはあるかもしれません。固定のクライアントさんやスポンサーさんがいて、その意に反すればそれはもう。契約切られたり、次から仕事来なくなったり。近い経験はいくつもあります。でもね、思います。干されてどうだったか。

干されてよくなる風通し

一時的に仕事が減ったり、短期的な影響はありました。ですが、今もずっと困り続けるようなことはありません。干されても風が通ります。干されて日に当たれば気持ちいいです。捨てる神あればなんとやら、になります。

命の危険がないから言える

これが独裁国家や軍事国家にいて、常に命の危険にさらされていたり、拷問や拉致をちらつかされていたら怖ろしくてなにも言えません。そこまで革命思想の持ち主ではありません。長いものには適度に巻かれます。それほどのリスクがないから言えること。

出る杭は打たれることを分かっていればいい

「言って損した」「言わないで後悔した」どっちが嫌かと言えば私は後者です。自分の行動に対して起こり得ることは自分で責任を取ればいいだけです。まぁ、仮に面倒なことがあっても命までは取られません。少々敵が増えるくらいです。

意見が違うことで反発するのはごく一部

「あなたはそういう立場なのね」「私とは違うのね」と違いを認めるだけで、意外と大した影響はありません。対立するのは、ごく一部のヒステリックだったりドラスティックな人だけです。

めんどくさいのはごく一部

「立場や意見は違うけど人を認める」ことができない人だけ、めんどくさいことになります。「ナントカカントカ、ハンターイ!」と叫ぶ系の人たちです。

立場をはっきりさせることと頑なであることは違う

意見が違ったら落しどころを探るのが普通。自分が正しいと押し切る人(団体)は他者と交われるはずがありません。

干されて分かるのは

干されて困るのではなく「この人は干すのね」と分かること。「容赦ないね」「スパンとぶった切るね」と分かること。そして「付き合わなくていい人を知る」こと。

言論の自由が保障されている国です。わがまま好き勝手が通用するわけではありませんが、節度を持ちつつ過度に怖れず、でいいのではないでしょうか。漂う雲のようになるべく自然にいたいものです。

雑感

Posted by densya