和太鼓の人はやたらどや顔してるの、なぜだろう。

素朴な疑問

なんで和太鼓の人はやたらイキったりどや顔する人が多いのだろう。アー写はバチを肩に担ぐか腕組む人がほぼ10割。そんなに力まなきゃできない楽器だったかな。もっとスッキリ立てばいいのに、と思うことがしばしば。

これでも和太鼓奏者のはしくれ

一応、自分も和太鼓はやってきました。今ではめったに打つことはなくなりましたが。たまに打つと若い子に「へー、カイデンさん太鼓打てるんですか」と。太鼓もやってますよーと公言してませんから。オプション扱いです。

創作系の太鼓より囃子が好き

もともとは郷土芸能系のグループから出てます。ながらく関わってきたお囃子が自分にとっての原風景であり、ずっと聞いていて飽きないような心地よいメロディーがいいのです。好みですから好き好きで。

続ける音楽か一瞬に凝縮させる音楽かの違い

祭りは基本的に長時間、エンドレス。かたやパフォーマンスとしての和太鼓は短い時間にいかに凝縮させるか。そもそもが違います。創作太鼓のコンクールは3分や5分で一本勝負。そりゃ濃密になります。もちろんそれぞれの良さがあります。

手に汗握ると言いますが

個人的には、舞台を見るのに手に汗は握りたくないです。息詰めて苦しくなるような演奏は見たくないですし、そういう苦しさが伝わる演奏はしたくないです。激しさや勢いではなく力みが伝わっているだけですから。

人間性がそのまま投影される楽器

太鼓に限った話ではないですが、楽器演奏は人柄が投影されます。愚直に磨き上げた技の世界に浸る人もいれば、口さがなく言うと「すかしてる」だけの人もいます。ストイックに研ぎ澄ました人がそのままの音を奏でるのであれば心地よいのですが、ただ粋がっているだけの演奏だと私は見ていて疲れます。

求めているものは人それぞれ

やんちゃな情熱を太鼓に込めている(だろうと思われる)人はよくお見かけします。それはそれでスタンスとしてありですし、支持されやすいスタイルかもしれません。個人的には好みでないというだけです。

根っこは「天に届ける」

ルーツを郷土芸能、民俗芸能に置いているので「奉納」の意識が強いのかもしれません。願いや祈りを込めるのに明るさや賑やかさは込めたいのですが、うるさかったり騒々しかったりすると神様は驚くんじゃない?怒らない?と思うわけです。そうとも言えませんかね、お祭りだって激しいのは激しいですから。

カッコつけにしか見えないから引っかかるだけ

いろいろ申しておりますが、結局はポーズにしか見えないということ。ちゃんと人間性が伴って演奏技術が伴ってイコールになっていれば何ら問題の無い話なのですが。「あーあ、なんかカッコつけてるだけだなぁ」と見えちゃうから気になるのです。

「太鼓の楽しさを伝えたい」と言う人がずっとしかめっ面してて、何を伝えるのでしょう。「酔ってる」ことだけは伝わります。

雑感

Posted by densya