「できることをやる」より「できないことをやらない」でどうにかなる
とうちゃんって、おおきくなったらなんになるの?
ずいぶん前ですが、次男(小3)に聞かれました。逆に聞き返しました。何になると思う?と。「うーん。。。おとうさん?」もうなってるってば。
じゃ、きみはなにになりたい?「さっかーせんしゅ!」実に子どもらしい夢です。
夢って、とくに考えたことありません
彼くらいの頃は、とくに将来への夢も希望もない面白みのない子どもでした。ほんとは「野球選手になりたい」、でも地域の野球チームでレギュラーになれない自分、そんなこと恥ずかしくて言えません。小学校の卒業文集には「国会議員になる」と書いた気もしますが、深い意味はありません。なんとなく偉い人になりたかったくらいです。
高校時代、なんとなく進路を考えました。「普通に受験して、それなりの大学行って、それなりの会社に入って」というのがどうも想像できませんでした。とくに「競争社会に放り込まれても付いていかれない」と薄々感じていました。
できることを探すより、できないことを避ける
「苦手を克服するのは苦手」割と早くに悟りました。かといって「得意分野に特化する」にもなにが得意か思いつきません。興味のない分野をつぶしていくうちに、保育の世界に出会い、芸能の世界に出会い、今日に至ります。
これがやりたい!という情熱はあまりない
「好きを極める」より「嫌いではないことを、どうやって楽しむか」です。芸能が、獅子舞がやりたかったのではなく「芸能しかできなかった」のが正解です。前にいた芸能団体を辞めてから一時は一般企業に勤めました。保育士にも戻りました。恥ずかしながら続きませんでした。「これしかない!」ではなく、「もう、これしかできない」と覚悟を決めて、独立したのが37歳。
前向きに逃げる
若い頃に、経験として様々なジャンルに挑戦することはとても大事です。私の場合、結果として「合わない時は早々に見切りを付ける」習性ができました。向き不向きの「向き」は分からなくても「不向き」はすぐ分かります。不向きに執着しない。
岐路に立った時は自分で決める
ふわっと流されているようで実はそうでもないもので単に「苦手を避ける」だけ。分岐点があれば「こっちに行こう」ではなく「こっちには行かない」その連続。
残り物に福がある人生
「好きではない」を突き詰めるとは、いかにいらないものを取り除くか。「嫌いなものから先に食べ、最後に残った好きなものをおいしくいただく」今は好物しか残っていない状態に限りなく近づいています。
望んだわけではないのに、望んだ以上の結果
コロナ禍の状況はちょっと例外的だとしても、ここまでは上出来。普通に会社勤めしていたら、とっくにリストラされていたかも。保育士を続けていたらどうなっていたのだろう。考えても仕方のないことです。その現実はとっくにないのですから。それでも、想像をはるかに超える現実に、なにも不満も文句もありません。できすぎです。
未来に対する欲がないわけではないけれど
今さらがっついてもたかが知れています。今ある環境、今できること、そこに集中するだけです。たぶん結果は後から付いてくる。そういうものです。
コロナ後の環境はこれまでとは大きく変わってくると思いますが、執着せず「行っちゃいけない方には行かない」判断は気を付けていけば、大崩れはしないのではないかと思っております。

夢見た未来より、とっくに良い「今日」を手にしています。