応援するなら、相手にちゃんと伝わる応援をしていただけると嬉しいです

下心がないわけないのです

我々、こんな体ですが一応人気商売の端くれにおります。よけいなこと言ってお客様に嫌われたらどうしよう。仕事干されたらどうしよう。けっこうビクビクしているものです(私もそれなりに)。同業の多くの方がブログやSNSで発信しています。友だち100人でっきるかな♪なんてノリでやっている人、まずいません。口にしないだけで「集客」第一。「クライアントとの関係強化」であり「見込み客の開拓」であり「既存客との関係強化」です。また「同業の活動リサーチ」でもあります。身もふたもない話ですが。ですから、言いたいこともかなりオブラートにくるみます。

きれいごとではなくバッサリと

25年芸能活動をしています。長くやってればいろいろあります。きれいごとではなくバッサリと。

「もうちょっと近かったら行きます」と言う人は、近くても来ないです。「その日は都合があって」と言う人は、都合が無くても来ないです。言い訳をする人は、言い訳する理由が無くても来ないです。そういうものです。社交辞令のつもりでしょうけど、その手の社交辞令は不要です。

「行けないけど頑張って」言われなくても頑張ります。頑張ってます。「行かれないのが残念です」同じ方に何度も言われるのも残念です。なにか言うことが応援だと思っているなら言わなくてけっこうです。十分伝わります、興味ないのが。私はできればスルーしていただけると嬉しい派です。「大変ですね」よく言われます。はい、大変ですよ。あなたは大変でなくてよかったですね。

口先だけなのはすぐわかる

昨年「自祝フェス」というイベントを企画した際、クラウドファンディングを行いました。大勢の方にご支援いただき、どれだけ勇気づけていただいたか。しかしながら、その陰には支援者数の何倍、何十倍もの無関心がありました。「コロナで大変だね、頑張ってね」「応援しています」という言葉の割には支援なしですか。そこは失礼ながらシビアに見ています。口だけですね、と。

お世話になっている演奏家や劇団の方など、アーティストサイドからの支援を多数いただきました。みんな大変なはずなのに。一緒に乗り越えよう、という思いをひしひしと感じました。頑張らなきゃ、と涙が出る思いをした反面、もっとゆとりがあるはずの方々はスルー。世間は冷たいなぁと思った次第です。いただいたご恩は忘れませんが、冷たくスルーされたことも忘れてません。そういう人がよさそうな顔して近づいてきても、顔で笑ってなんとやらです。そこまでお人よしではございません。

応援という名の無関心

応援という名の無関心。実によくあります。いちいち挫けたり心折れたりするほどデリケートではなくなってきましたが、毎度のことに「またかよ」と思っているだけです。メンタルを強くしてくれるのは、コロナ禍という社会情勢に歯を食いしばっているからではなく、至近距離から無造作にほうられる、善意というオブラートにくるまれた無理解、無遠慮、無関心に対する溜息と苦笑いの数のおかげかもしれないです。

応援なんかしていない。見てるだけ

「応援する」というなら、ちゃんと相手に伝わる応援をしていただけるとありがたいです。テレビの前でオリンピック見てるのは、応援じゃなくてただのテレビ鑑賞。応援してやってるぞーという押し付けはさらにご勘弁。

人が集うこと、興味を持って集まってくれることが一番の応援であり励みです。いつ、こういう日が戻るやら。

日常

Posted by densya